ふと外を見ると元気のいい子供と、車椅子のおばあちゃんが仲良く遊んでいます。


病室のベッドからは、妻が働いているスーパーが良く見えるので調子の良いときは外を見るのが私の日課になっています。


小さい頃から少し体が弱く心臓に持病を持っていたことから病室のベッドで寝ることに慣れているとはいえ元気に働く妻をこの手で抱くことも出来ず日々悶々と窓の外を見る毎日に寂しさを感じていました。

妻と離婚すればこんな思いを感じることも無く一人で死ねるのだろうか?と考えてみるのですが、眠りにつくたびに妻とのことが思い出されやはり妻を愛していることを再度思い知るのでした。

考えてみると妻と結婚してからの私は、今までに無く元気で妻や子供の顔を見るたびに『まだ死ぬことは出来ない』との思いで頑張ってこれたのだと自分自身そう感じていました。

妻の諒子と結婚したのは26歳の時もう18年前のことになります。

当時私は心臓の持病に悩まされながらも技術系の仕事に就き、何とか日々暮らしているような状況でした。

それなりに女性との付き合いもありましたが持病があることに負い目を感じ、何時死ぬか分からないような自分と結婚して不幸にさせるわけにはいかないとの思いから、深い付き合いになることも無く、このまま一人で朽ちていくのかと絶望にも似た感情を持ち、仕事にも中途半端な気持ちで望んでいたものと思います。


私が入社して1年後彼女は入社してきました。

活発で気持ちのいい私には持ち得ない生命力のようなものを持っていました。

そんな彼女に惹かれるのは時間の問題でした、しかし私にはどうしても今一歩踏み出す勇気がありません。

恋人とも友達ともつかない中途半端な状態でしたが、日々諒子に対する思いが深くなることに自分自身戸惑いを覚え、また諒子の気持ちも私に向いていると確信が強くなるにつれ自分の事を告げる勇気が持てず、私のほうから少しずつ距離を離すことにしたのです。

私の病気は日常生活に支障はありません。

激しい運動を続けなければ即死に至る心配もありません。

しかし、幼少の頃から何度か死の淵を垣間見るにつれ何時死んでもおかしくないと自分で思い込んでいたのかもしれません。


諒子と出会い1年経ち、煮え切らない私の態度に愛想を尽かしたのか、諒子の方からも接触してくる機会が少なくなってきました。

私は心の中でほっとする気持ちと、どうしようもない寂寥感をもてあまし、これでいいと無理に自分に言い聞かせる毎日でした。


ある日、同僚の田中が私に「お前諒子ちゃんと別れたのか?」と聞いてきました。


「そもそも付き合ってない」と、私が言うと

「へ~本当に?でも諒子ちゃんはお前のこと好きだと思うぜ、でもお前がそういうなら、俺諒子ちゃんにアプローチしようかな~」

「お前ならいいんじゃないかな」

・・・と言ってしまった後、私は胸が締め付けられるような思いを感じた。


何度こんな思いを繰り返さなければならないのか?

人を好きになるのを止められれば苦しみから解放されるのにと絶望感ともつかない感情に支配されていました。


諒子から「田中に付き合ってくれと言われている」と聞いたのはそれから数日経った後でした。


諒子が何故私にそのことを言ってきたのか、私には分かっていました。

しかし、当時の自分にはそれを止める権利も無いと感じていましたし、田中と結婚したほうが諒子は幸せなのではないか?と感じていたのも事実でした。

それから田中は私に見せ付けるように諒子にアプローチをかけていました。

勇気の無い私は、それを正視することも出来ずそそくさとその場を立ち去るのでした。


それからしばらくして職場の親睦会の時の話です。

相変わらず田中は諒子にアプローチをかけていました。

諒子もまんざらではないようで、2人で楽しく話しているのをいたたまれない気持ちで見ていました。

体のこともありお酒は極力飲まないようにしていたのですが、このときばかりは私もお酒の力を借りなければ過ごすことが出来ず、明らかに許容範囲を超える飲酒にとうとう体が耐え切れなくなってきました。

トイレに行こうと立ち上がるとふらふらと倒れて胸が苦しくなってきました。

発作であることは自分自身分かっていましたが、この時は死の恐怖よりこのまま消えてなくなりたいとの思いが強く、諦めにも似た感覚、遠くなる意識の中で諒子にせめて愛している事実だけでも伝えておけばよかったと思ったことはよく憶えています。


目覚めると、諒子が私の顔を覗いていました。

その時私は、最後に諒子の顔が見れて良かったと思いました。

私は諒子をじっと見つめていました目から涙が出てきます。

意識が戻ったことに気が付いたのか、田中が両親を呼んでいる声が聞こえます。

諒子も目に涙を浮かべて私の肩を抱き、枕に顔をうずめ涙を流し消え入りそうな声で「私もあなたのことが好き、だから死んじゃ駄目。私が貴方を死なせない絶対に死なせないから」と泣き出してしまいました。

私はその時嬉しくて、思わず諒子の首に腕をまわして「俺もだ」と言いました。


後から聞くと酒場で倒れたとき薄れる意識の中で諒子に「愛していると」告白したらしく、その後は田中に冷やかされるネタになっていました。

田中も俺のことを心配し、私に奮起を促すために諒子に迫っていたようで、それは諒子も分かっていたようでした。

まんまと田中に乗せられた形でしたが、田中も「これでお前が踏ん切りつかなかったら、俺が諒子ちゃんもらってたぞ。惜しいことをした」と私たちの行く末を祝福してくれ、私は田中に感謝しても仕切れない思いを抱いていました。


おかげでとんとん拍子に話が進み、諒子は「病気も含めて貴方が好きです。でも私と結婚すれば毎日気が抜けなくてきっと死ぬことだって忘れちゃうよ。だから前向いて生きていこう」と。

私はこのときどんなことがあっても諒子だけは幸せにすると誓ったのでした。


何も疑うことも無く、人生で一番幸せなときでした。

一男一女をもうけ、子供達が大きくなり長男が小学4年生、長女が1年生になって手が離れ始めたとき、妻が「私も外へ出て働きに行きたい」といって近くのスーパーに働きに出ることになったのです。


妻が働きに出ることには私は賛成でした。

もともと活動的でそれが魅力の妻です。

子育ても一段落しこれから学費もかかることですし無理の無い範囲であれば妻のためにも仕事をすることはいいことだと感じていました。

あくまでパートですし、仕事も子供が帰ってくる頃にはあがり、土曜日は朝から夕方までというシフトですので文句はありませんでした。


妻が働き出してから半年ほどして妻から


「日曜のシフトと月曜のシフト変わって欲しいと言われてるんだけど・・・変わっても良いかしら?」と聞かれ、

「お前がいいならいいけど日曜は何時まで?」

「一応昼2時ごろまでなんだけど・・・駄目かな?」

「あまり無理するなよ」

「私なら大丈夫よ」

「なら頑張ってな、俺も日曜に家事でもするよ」

「貴方にそんなことさせられないわ、でもありがとう」


・・・ということで、妻は日曜日も働くことになりました。


この頃妻も私も30代後半という年代でした。

妻はいまだに私にとっては一番魅力的でした。

しかし年のせいもあるでしょうが妻が私の体を気遣って夫婦生活のほうはかなり少なくなり月2回もあればいいほうでした。

私としてはもっと妻を愛したいのですが妻から「十分愛されてます、私は貴方がいなくなるほうが怖いだからもっと自分の体を大切にして」といわれてしまえば、何も言えないのでした。

それだけに私の体調のいい日には必ず妻も応じてくれ、私の物で気をやるのです。


私は決して小さい方ではないのですが、体のこともあり何回も出来ないので必ず妻が気持ちよくなるように前戯をたっぷりとし、妻が満足できるようにおもちゃなども駆使して妻に奉仕していました。

妻はそんな私の気持ちを分かってくれ、夫婦生活では必ず私に体をゆだね、心から感じて前戯で何度も絶頂を迎えるのです。

挿入後も私の物で十分奥までつくことが出来、失神するかのごとく激しく感じ、私の体のこともあって騎上位が多かったのですが、激しく前後に腰をグラインドさせ「だめ~もうだめ~」と背中を大きく反らせ、私のものを絞り上げるのでした。

妻は私との行為で初めて女の喜びを味わったと私に言います。


過去一度だけ呟く様に「一晩中貴方で何回もいかされて見たいけど貴方がいなくなるぐらいなら我慢できるわ」と言われ、そういう妻がいとおしくもっと愛したいのですが、妻は私が一回果てるとたとえ妻がもっとしたいと思っても「今日はお終い」といって2回目は応じてくれないのです。

それも妻の愛情からのことで、今であっても妻の私への愛情を疑ったことはありません。

しかし、時々夜に一人で慰めてる姿を見たとき自分の体のことが情けなく感じました。


日曜にシフトを入れるようになっても妻に疑わしいところは一切ありませんでした。

しかし、日曜の働く時間が更に増えて5時ごろまでになり、他の日も妻の働きが認められリーダーとなったことで就業時間も増え、妻も疲れているのか月1回はあった夫婦生活も段々減り、妻が働き出して2年経ったころには3ヶ月もレスになっておりました。

今まで私に気遣い、私とのセックスが好きだった妻をちゃんと満足させられてないと感じていた私には妻をとがめることもできず、また40にもなれば少なくなって当たり前という友人達の話もあいまって、しぶしぶではありますが納得せざるを得ないと思っていました。


ある日曜のことです。

昼も過ぎ遅くなったのですが、台所で子供のご飯を作ろうとしたとき食材が足りないことに気が付きました。

子供達に「昼ごはんを食べに行くついでにママの働いているところを見に行こうか?」と、日曜に久し振りに妻の職場に買い物にいくことにしました。

妻には恥ずかしいから来ないでといわれて、主に食品しか扱ってないスーパーに行く機会もなかったので、働き出した直後は何回か行きましたが妻が日曜日に働きにで始めてからは一回もいったことはありませんでした。


お店に着くと子供達は少しはしゃぎぎみにスーパーに駆け足で入って行きました。

まだ母親が恋しい年ですし、また出かけて妻に会うというのも何か新鮮な気がして私も少しどきどきしていました。

長女が母親を探している間、私は必要なものを籠に入れ、会計をする前に子供を探しました。


しばらくして長女が店員さんと話しているのを見て、私も近くに寄り、

「妻がお世話になっております、お仕事の邪魔をして申し訳ございませんでした」

「いえいえ~リーダーには私もお世話になってますから」と感じのよさそうな年配の奥様でした。


しかし、その後の言葉に私は息を飲むのです。


「でも桂木さんいつも1時には上がっちゃうから今日はお帰りになってると思いますよ」

「え、・・・いつも1時上がりですか?」

「え・・・あ、多分ひょっとしたら店長と上で会議かもしれないけど・・・」

「店長さんは今どちらに?」

「ど、どこでしょうね。今日は見て無いから・・・」

「そうですか・・・私の勘違いでした、すいません。では今日はこれで。お手を煩わせて申し訳ございません」

「い、いえこちらこそ」


・・・と、そそくさと立ち去りました。


私は子供から「今日はママ帰ったのかな?」と言われるまで呆然と立ち尽くしていました。


子供から声を掛けられ我に返り会計を済ませる間中、先ほどのパートさんの言葉が頭を巡ります。

日曜の出勤が延びたと言うのは妻の嘘なのでしょうか?


パートさんにあのような嘘を作る理由が見当たりませんし、実際妻はここにはいません。

会計を済ませた後、気もそぞろに車に乗り込みました。

ふと駐車場を見回し妻の車を探しました。

それほど大きな駐車場ではありません。

ぐるっと回って駐車場内を見渡しても妻の車はありませんでした。

ハンドルを握りながら何故妻がこんな嘘を言わなければならないのか?という事で頭がいっぱいになり、駐車場の出口で車の流れを見ながら悪い想像ばかりしてしまうのです。

子供達に「パパどうしたの?」と言われ、なんとか気を取り直して車を発進させるのですが、やはり何故妻がこのような嘘をつく必要があるのか理解できないでいました。


家に帰ってみてもやはり妻の車はありません。

家に入り子供達の「お腹がすいたよ~」という言葉を聞くまで、またも考え込んでしまっていました。

子供達の為にご飯を作りながら、妻の帰りを今か今かと待っている私がいます。


「ご馳走様」という子供達の無邪気な笑顔に少し救われながらも、今子供達と遊ぶ気にもなれず、自室で仕事するから2人で遊ぶように言って、早々と自室へ引きこもり、ベッドで寝転びながら何時間考えていたのでしょうか・・・。


妻の車が駐車場へ入ってくる音が聞こえてきました。


玄関を開け中へ入ってくると子供達の「お帰りなさい~」という元気な声が聞こえてきました。

部屋からでて2階から玄関を見ると、いつものように妻に甘える子供達の姿が見えます。

妻を見るとパートさんの一言で動揺する私が、妻を信用していないように思え、ちゃんと妻に聞いてみようかとも思うのですが、私が妻を疑ったということを妻に知られたくないと言う思いもあり、なかなか決心がつかないでいました。


私がゆっくり2階から降りていく途中で娘が「ママ今日はママのお店にいったんだよ。ママいなかったけど、パパも残念そうだった~」と無邪気に報告している声が聞こえました。

私自身が問いただすかどうか気持ちも定まらないまま娘が聞いてしまったことで、私は少なからず動揺しました。


「え?今日来たの?そっか・・・ごめんねママ店舗の集まりで午後から本部のほうにいってたから、ママも会いたかったよ~」と、妻が言うのを見て一瞬ほっとしました。


パートさんが言った「いつも1時上がりだ」と言う言葉に引っかかりつつも、動揺する様子も無く子供に説明する妻を見ると疑いを持った私が早計だったかとも思えてきました。


妻は私の顔を見ると、

「どうしたの?少し疲れているようだけど・・・大丈夫?休んでいたほうがいいのじゃない?」

「いや、大丈夫ださっきまで少し横になっていたから心配要らないよ」

「そう・・・なら良いのだけど・・・あまり無理はしないでね、貴方の体が一番大事なのよ」

「ああ・・・ありがとう気をつけるよ」


いつもの優しい妻です。

少なくとも私を気遣う心は偽りではないと感じます。


その夜やはり気になるので今日のことを妻に聞きたいという気持ちが出てきました。

疑問を解消して自分の気持ちを軽くしたいという思いもあります。

いつものように子供を寝かせ、明日の準備を子供と一緒に確認する妻を見て、妻が私を裏切っているなどと全く想像できないでいました。

私は先に寝室へ入り、明日の仕事の資料に目を通していると、妻が髪を拭きながら寝室へと入ってきました。


私が何か言うより先に妻が口を開き「お店に来るなんて珍しいわね。でもいないときに限ってくるなんて間が悪いわ」と明るく言うのでした。


私はこのとき疑った自分を恥、やはり妻は私を裏切ってはいないと感じました。


「あ~悪いね、ちょっと足りないものがあったから。久し振りに諒子の働く姿を見てみようかと思ってさ」

「ふふ、でもあんまりいい格好じゃないから見られても複雑」と少しすねた感じで言いました。

「店舗の集まりってしょっちゅうあるの?」

「ん~しょっちゅうって訳でも無いけど他にも色々あるのよ、ミーティングとか」

「そっか・・・あんまり無理するなよ」

「へへ~心配してくれるんだ」

「当たり前じゃないか」


・・・と妻にキスをしてベッドになだれ込もうとしました。


「駄目!」

「なんで?」

「今日調子悪そうだったから駄目」

「大丈夫だよ」

「駄目」

「だってもう3ヶ月もして無いんだよ・・・」

「ごめんなさい・・・でも今日は駄目」

「なら何時ならいいんだよ」

「そんな我侭言わないで私は貴方のためを思って・・・」

「だからって3ヶ月もして無いのに・・・俺のことが嫌になったのか?」


と私が言うと、真剣な眼差しで私の目を見て


「怒るわよ、私は貴方だけを愛してます。どんなことがあっても絶対・・・」

「ごめん・・・」

「うん・・・じゃ寝ましょ」


妻が横になり私もそれに続いた。

ベッドの中で先ほどの妻の台詞が頭の中をぐるぐる回っていた。


(どんなことがあっても絶対・・・)


いつもの妻の様子とは明らかに違う。

何か思いつめたような、悲壮感すら漂う目で私にそう訴えた妻の顔が、しばらく頭の中から離れませんでした。


私は妻に疑いを持ってしまった事に罪悪感を感じながらも、やはり私を拒絶する妻の態度に小さな不信感を抱いていました。

あれから3ヶ月ほどそれとなく妻に迫ってみるのですが、やはりやんわりと拒否され、この前の妻の悲しい顔が目に浮かび結局無理強いは出来ないでいたのです。


長男の小学校の卒業式の時にはもう8ヶ月に達していました。

私も週に一度程度自分で処理しており、そんな生活にも慣れてきましたが、やはり妻を抱けないことに小さな不満が積み重なり、いつものように妻に優しく出来ない自分に自己嫌悪しつつも、妻の態度に段々と尋常では無いものを感じておりました。


長男の卒業式当日。

出席する妻はスーツ姿でその凛々しい姿は、妻の魅力を余すところ無く私に伝えるものでした。

あいにく休日にもかかわらず私ははずせない仕事があったので妻だけでの出席でした。


「今日はご苦労さん、久し振りにスーツ姿見たけど凄く綺麗だったよ」

「ありがとう・・・貴方にそういってもらえると何か嬉しい」と私の胸に顔をうずめるのでした。


我慢できなくなった私のあそこは段々硬くなり、「諒子・・・」と妻の名前を呼ぶと、唇に軽くキスをして妻をベッドに押し倒しました。


「駄目!・・」と妻はまたしても拒否するのです。


しかし私も我慢の限界です。

妻の言葉を聞いていない振りをして妻の上着を脱がそうとしました。


「止めて!」


一際大きく妻が叫びました。

私はそれでも止めず、妻の上着を脱がせ、張りのある妻の胸を下着越しに愛撫しながら妻の背中に手を回し下着をはずしました。

そして妻にもう一度キスをしようとして、私は妻の様子がおかしいことに気が付き、少し上体を起こして妻の顔を見てみると、妻は天井を呆然と見ながら涙を流していました。


私ははっとして妻から離れ妻を見ました。

妻は目を閉じて静かに涙を流し、そしてゆっくり私のほうへ顔を向けると小さな声で「あなたごめんなさい・・・」というと大粒の涙が頬を濡らしていました。


私もそのときは妻を傷つけてしまったことに罪悪感を感じ、「すまない・・・どうかしていた・・」と、妻の涙を見ながら私もなぜか涙が出て来ました。

妻は私の目を見ながらゆっくり首を横に振ると「ごめんなさい・・・お風呂に行ってきます」と衣服を直しながら出て行きました。


私は拒否されたことよりも、妻にあのような涙を流させてしまったことに酷く落ち込み、しばらく寝室から動けないでいました。

しばらくその場で呆然としていたのですが、妻がなかなか風呂から上がってこないので心配になりそっと風呂場へ行くと、浴室から妻のすすり泣く声が聞こえてくるのです。

私は風呂場の外で妻の泣き声を聞きながら、自分のした事に後悔し、今すぐにでも妻を抱きしめ謝りたいと思いました。

しかしここまで妻が私を拒絶する理由も分からないのです。

私は妻への信頼が揺らいでいるのを感じましたが、私自身それを認めたくない気持ちもあり、結局その場から立ち去り、飲めない酒を飲んで現実逃避することしかできませんでした。


翌日、妻に謝ろうと考えるのですが、私を拒絶する妻の態度に納得できない部分もあり、タイミングを逃したまま、どんどん日が経って行きました。

心に釈然としないものを抱えながら段々妻との間に見えない溝が深くなっていくような気がして焦りはあるのですが、妻に理由を問いただすきっかけも掴めず、また更に日が経っていくのです。


この状態は私の体を確実に蝕んでいました。

ストレスからか時々胸が痛くなり、段々食欲も無くなっていくのです。

妻も私の体を心配し、かいがいしく世話を焼いてくれるのですが、それ自体もストレスになり、ある日出勤前にとうとう私は倒れてしまったのです。


病室で目を覚ますと妻が私の顔を見を見ていました。


頬には涙の後が見え、私が「心配掛けたな・・・すまない」というと、妻はまた涙を流し首を横に振りながら私に抱きつき、「貴方が生きていればそれで十分です・・・」と言い、私もそんな妻をいとおしいと思うのです。

今回はただのストレスと疲労から不整脈が起こったことが原因との診断から、2~3日入院した後退院できることになりました。

退院当日、妻が迎えにくると言ってくれたのですが、妻の仕事のこともあるので断り、タクシーで帰って一人の家を満喫していました。


その日、仕事上がりの同僚達が私の家にお見舞いに来てくれました。

その中に田中もいます。

田中とは妻と結婚の恩もあり、仕事上でもライバル関係でよき理解者であり親友でした。


夕飯前には田中以外は帰りましたが、田中は私が引きとめたこともあり、久し振りに友人として少しお酒を飲みながら話していました。

妻は料理などを作ってくれた後、お邪魔でしょうからと子供達をつれて子供部屋へと引き上げました。


しばらく他愛も無い話をしていたのですが、やはり最近おかしい私を心配して・・・。


「最近ちょっとおかしいけど何か悩みでもあるんだろ?わざわざ俺に残れって言うぐらいだから俺に話して楽になるなら話してみろよ」と、私を気遣って聞いてくれました。


限界に来ていた私はその言葉に思わず涙を流しながら、妻と上手くいっていないことを田中に話しました。

田中は黙って聞いていましたが、しばらくして


「そんなことがあったのか・・・でも、諒子さんに限ってお前を裏切ることは無いと思うんだが。あんなにお前のことを思ってくれる嫁さんなんてどこにもいないぞ。でも確かに不可解だな。一度俺のうちに夫婦で来いよ、ひょっとしたら俺の嫁さんになら諒子さんも訳を話せるかもしれないし。女の悩みなら俺達には分からないからな」


・・・と提案してくれました。


田中の奥さんも昔同じ会社で働いており、俺達より一つ年上で諒子の先輩にあたる人です。

諒子も結婚前は彼女にお世話になっていて、私に話せない悩みも彼女なら聞き出せるかもと思い、田中の提案を快く受けて今度の日曜にでも行くことになりました。

田中が帰った後、妻に週末田中の家に呼ばれていることを話すと、妻も乗り気で快く了解してくれました。


退院しても一応念の為と言うことで、その週は休むことにしました。

妻も今日は休みのはずなので、久し振りに2人で出かけようかと言うと「ごめんなさい・・・ちょっと友人の所に行かなければならないの、夕方までには帰ってくるから。折角の休みに誘ってもらったのにごめんなさい」と言われれば引き下がらざるを得ません。


妻は朝から用事をてきぱき済ませ私の昼ごはんを用意していました。

私が暇を持て余し庭で犬と遊んでいると、妻が昼ごはんの用意が出来たことと、もう直ぐ出かけると声を掛けてきました。

それから10分も立たないうちに少し動悸がして家に入ったのですが、まだ5月とはいえ外は意外に暑く、昨日そのまま寝てしまったこともあり風呂に入りたくなったので、下着とタオルだけ持って風呂場へと向かいました。


その時、妻の姿が居間にも寝室にも見えなかったのですが、別段おかしいとは思わず、友達に会いに行くと言っていた妻が風呂に入っているなど微塵も思っていなかった私は風呂場に居るかどうか確認もせずに風呂場の扉を開けました。

扉を開けると下着姿の妻がそこにいて、私はその姿に驚きを隠せませんでした。

上下黒の下着で、しかも下はほとんど妻のあそこを隠すことが出来ないほど小さく、妻の下の毛が見えてもおかしく無いようなものでした。


妻はしゃがみこんで「いや~出て行って、お願い見ないで~」といって泣き出してしまいました。


私は妻の先ほどの姿が目に焼きつき頭から離れません。

呆然と妻を見て私は衝動的に妻を無理やり押し倒し、下着を剥ぎ取りました。


私はあまりの光景に言葉を失い、ふと力が抜けると妻は私の手から逃れ風呂場から走り去りました。

ほんの少し呆然としていましたが、妻に聞かなければとの思いで妻を捜しました。

私が寝室の扉に手を掛けた時、妻は着替えたところで私を突き飛ばすと、捕まえようとする私を振り切り、泣きながら玄関へと走りました。

私も直ぐに追いかけ、玄関を出る前に妻に追いつき、妻の手をとってこっちを振り向かせると、妻は涙で顔がぐちゃぐちゃになっていました。

私は先ほどのことを問いただそうと口を開きかけると、またしても胸が締め付けられるように痛くなり、その場に倒れてしまいました。


倒れながら妻が「いや~!」と叫んでいるのが分かりました。


私は自分の胸を両手で掴みながら、先ほどの妻の姿を思い出していました。

妻のあそこの毛は綺麗に剃られていたのです。


また病室のベッドで目を覚ますと、両親が私の顔を心配そうに見ていました。

ベッド脇に医者が立っており「ちょっと興奮したのかな・・・心配ないと思いますが、一応経過を見るということでしばらく入院してもらいます」と両親に話しています。


私が目が覚めたのに気が付き医者が「大丈夫ですよ、ただあまり無理をなさらないでください。しばらく静養することですお大事に」と立ち去りました。

私は上体を起こすと両親に「諒子は?」と聞きました。


「分からない・・・ここに運び込まれたときは諒子さんも一緒だったようだけど、私達に電話をした後どこかに行ったみたい」と、両親はいう。

「そうか・・・」

「お前諒子さんと何かあったのか?」


父親に聞かれましたが、私には何も言えません。


その日の夕方、田中夫妻が見舞いに訪れてくれました。

田中は心配そうに私を見て諒子がいないことに気が付くと、奥さんを先に帰らせて私に話し掛けました。


「まさかとは思うが・・・諒子さんどうした?」


私は何も言えず悔しさと悲しさで自然と涙が出てきました。

そんな私の様子を察してくれたのか田中は何も言わずに椅子に座っていました。


しばらくして「取り合えず帰りお前の家に寄るわ、子供や諒子さんのことも心配だろ?」といってくれて、私も「すまない」と言い田中に自宅を見てきてもらうように頼みました。


それから田中はほぼ毎日見舞いに来てくれました。


「諒子さんのことは心配するな。うちのが色々世話を焼いてくれている。子供さんもちゃんと学校に行ってるしな。とりあえずはお前は静養するんだ。お前は子供達の父親何だぞ、しっかりしろ」と、田中は私を励ましてくれるのです。


とにかく体を直すことを第一に考え、諒子のことはしばらく考え無いように努力しました。

しかし夜になり一人になると悪夢のように思い出してしまうのです。

なかなか不整脈が治まらず結局3週間ほど治療にかかってしまい、仕事に穴を開けたことを申し訳ないと思いながら、やはり妻のことが気になって仕方ないのでした。


退院の日わざわざ仕事を休んで田中は私を迎えにきてくれました。

田中は車の中で私に話し始めました。


「桂木・・・お前に言っておかなければならないことがある。諒子さんは今日お前達の家から出て行った」

「え・・・ど、どういうことだ!」

「落ち着け・・・」


田中は私が落ち着くのを待って続けました。


「今のお前の状態では諒子さんに会っても悪化するだけだ。諒子さんも今は離れたほうがいいと言っている。悪いが俺もそう思う」

「しかし・・・俺は真実が知りたい。そうでなければ先に進めない」

「分かってるさ、だがお前は諒子さんの夫でもあり子供達の親でもあるんだ。お前がしっかりしないでどうする?諒子さんも自分のしたことは分かってる。1年だ1年我慢しろそれまでしっかり体を治すんだ」

「納得できない!なんで勝手に決める!?俺の気持ちはどうなるんだ!」

「・・・お前の気持ちを分かってるから、今は会わせられないんだ!・・・分かってくれ、皆お前を心配しているんだ」


私はどうしても納得できなかったが、田中は頑として妻の居所は話さなかった。

妻の両親も私に「悪いことをした。離婚されても仕方ないけれど、どうしても会わせられない」と言うのです。

それから妻の両親や私の両親、田中夫婦の助けを借りながら子供2人と、私だけの生活が始まりました。


当初は妻のことをクヨクヨ考えていた私ですが、理由も分からず妻と引き離された子供の方が私を心配し、色々と気を使っているのを見ていると、私が何時までもくよくよしてるわけにもいかず、段々立ち直ることが出来ました。

半年も経てば田中達の判断が正しかったことが自分自身良く分かってきたのです。

相変わらず妻のことは考えているのですが、段々悪い記憶から良い記憶を思い出すことが多くなってきました。


年末も過ぎ、結婚して初めて妻と過ごさない元旦を寂しく思い、もう何があっても妻を許そうという気にすらなってきました。


1月1日の昼頃。

田中夫妻が子供を連れて正月の挨拶に来たとき、私は思い切って田中に妻に何があったのか知ってることがあれば教えて欲しいと頼みました。


田中は渋っていましたが、私が今の心境を話し、「妻と会う前に妻に何が起こったのか出来るだけ知っておきたい。妻に会う前に心の整理をつけておきたい」と話すと、少しずつ話し始めました。